すべての女性が、生まれた子供を無条件に受け入れ愛していけるわけではありません。
子供の年齢とママ年齢は同じ。
時間をかけて愛せればいいのです。
ここにある文章を引用します。
「そもそも、世の育児本やメジャーな雑誌は、
たいてい“赤ちゃんは天使、ママは聖母”というかぐわしいイメージを振りまいていますが、
現実はイメージどおりにはいきません。
恋に落ちるように、わが子が“羽の生えた天使”に見える人もいるでしょうが、
もっと冷静で、最初から現実が見えてしまう人も当然います。
私たちが無意識に抱いている母子のイメージは、
人類の歴史のなかで、無数の人々の普遍的な理想像として形づくられてきた
“ファンタジー”です。
そのファンタジーを抱いて現実の子育てに突入すれば、
一気に現実が見え、拒否反応を起こすことがあっても、ある意味当然ではないでしょうか。
チチ・ウンチが母親にとって本当に“かぐわしい”匂いになるには、多くの経験の束が必要です。
一生懸命世話をし、子どもがさまざまな反応を見せてくれるなかで、
自我と自我の闘いのすき間にふとこころが和んだり、
自分自身の成長に気づいたりする地道な営みを通して、
私たちは少しずつ現実の子どもを受け入れ、
好きになって(あるいは“嫌いでなくなって”)いけるのだと思います。」
甲南大学教授、同大学学生相談室専任カウンセラー(臨床心理士)
高石恭子先生の言葉より引用
この文章とは、
私が子育てに悩んでいた時期に出会いました。
私は、子供を産むまでは1人の人間・1人の女性であったのに、
産んだとたんに「母」となり当然「母」はこうあるべきだという固定概念を
押し付けられることに我慢ができず悩んでいました。
生まれた子供を、自分の分身のように思い込める人・母という理想像をもっている人は、
さほど育児には苦労しないかもしれません。
けれど現実が見えてしまう人にとっては大変です。
自分はどこか他のママと違う・・・。
他のママのように溺愛できない・・・。
母性がないのだろうか・・・。
など悩んでしまいます。
そんな時に出会ったこの文章を読んで私はとても気持ちが楽になりました。
私と子供には長い時間があるのだから、
いそがずゆっくり母になればいいのだと。
(世間のおしつけの母像にはうんざりだけれど・・・。
どんどん子供が好きになっていく自分がいます。)